2010年11月04日

となりの重要文化財さん*仁丹ホーロー町名看板

前回からの続き・・・

二条のくすりまちで「アレは珍しいから!」と、地元の御婦人に教えていただいた仁丹マークのホーロー町名プレートですが、街歩きをしていると結構見かけます。

二条くすりまちのダブル仁丹さん。2階にあるのも珍しい。




いきなり脱線するけれど、昔・・・昭和30~40年代初頭のケーキ=バタークリームケーキ(知ってる?生クリームじゃないのよ)には必ずと言っていいほどバラの花形のクリームの搾り出しがデコレーションしてあって、その上にパラパラと銀色の粒々が振りかけてあったが、「アラザン」なんてしゃれた製菓用語なんて知らないから、皆これのことを「仁丹」と呼んでいた。ケーキに薬は振り掛けないと今は理解できるが、とにかく大人も子供も、ああいうのはすべからくジンタンだったよなあ。

枡形商店街の近くにて




ホーロー板は仁丹だけでなく、アリナミンナショナル洗濯機等色々あり、どれも年季が入っています。最も新しめでツマラナイのは、ロータリークラブやライオンズクラブのもの。


一乗寺にて。近くに武田製薬の薬草園があるから?

これらは正式には町名板住居番号表示板と言って、合わせて「住居表示プレート(板)」と称するそうな。でもって、京都市は何故か電信柱や塀なんかに良く貼ってある役所管轄の「普通の住居表示板」をあまり見かけなくて、あるのは前記の仁丹だのアリナミンだのの「スポンサー付きホーロー板」。




良く読めないが2枚ともアリナミン

広告兼用で、つまりは「これ貼ってちょうだい!」と、各企業から寄贈された品らしい。


お洗濯にナショナル洗濯機!ローラーの手回し脱水機の頃のものだろうか?


八瀬のヘルスセンターらしい


ニコニコ・・・何だろう?

ちょっと調べたら、森下仁丹のものは明治43(1910)年から全国の都市に設置されたとありました。

「町名の表示がないため、来訪者や郵便配達人が家を捜すのに苦労しているという当時の人々の悩みに応え、 1910年(明治43年)からは、大礼服マークの入った町名看板を次々に掲げ始めた。当初、大阪、東京、京都、名古屋といった都市からスタートした町名看板はやがて、日本全国津々浦々にまで広がり、今日でも戦災に焼け残った街角では、昔ながらの仁丹町名看板を見ることができる。」 森下仁丹歴史博物館HP~森下仁丹広告の歴史~より引用

森下仁丹歴史博物館
(現実の博物館じゃなくて企業の公式サイト、レトロファン必見!)


仁丹マークの大礼服の人(軍人ではなく外交官だとのこと)が、親切に
←今ココ!
と教えてくれていたのか。


地名も珍しいので採集しがいがある

戦災と戦後の新しい住居表示板の普及で多くが失われる中、京都では今も仁丹町名看板を良く見かけることができるそうな。ちょっとした文化財じゃん!(風俗慣習的なブツ・・・重要有形民俗文化財レベルやね)

アリナミンやナショナル洗濯機は戦後物件だから、仁丹タイプの表示板の伝統が、それだけ色濃く残っているってことだろうか?古いものがしっかり機能を果たしているから、取り立てて新しい物にする必要も無いということか。「保存・保護」と言うより、単に「そのままにしてある」だけっぽいが、だがそれがいい!



新しいものは文字も筆書きではなくツマラナイ

昭和レトロ好きとしてはスルーできない物件として、見かけると写真に収めていましたが、そんな背景があったとは!

これだから京都歩きは止められません。


追記

2階に貼ってあるのは珍しいと書きましたが、百万遍から出町柳駅への途中の駿台百万遍ハイツの斜め前、例のイヤなロバの自販機の設置された家屋2階の戸袋に仁丹看板を発見!御丁寧に1階には新しいものも貼ってありました。








仁丹さんの方が親切で詳しい

更に追記

町名板は残っている京都だが、この手の広告用ホーロー看板は逆にあまり見かけない。景観的に何か制約があるのだろうか?もっと田舎の方に行けばあるかもしれないが・・・。


松山容子が微笑む現役ボンカレー看板(大阪府富田林市にて)

実家の塀に貼って撮影

もらい物
オバサンのコレクション(実家の塀に貼って撮影)





Posted by いたのり at 19:47│Comments(0)
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