2015年05月19日

2015年05月10日

甲斐庄楠音の世界へ・・・┌(┌ ^o^)┐*瑞泉寺

昨年秋の「そうだ京都行こう」は、桃山時代の「血天井」というオカルトスプラッタ物件有りの源光庵でしたが、こちら、同時代のもっともっと血腥い謂れの所です。(のワリにはナントカスポットとは言われてないし、あんまり知られてもいない。)


弥次喜多が浮かれているが、実は凄惨な過去のある場所

都市改造しまくったせいか、京都の人は秀吉のことをあんまり良く言いませんが、ディスられてもしょうがない所行が秀次切腹と一族皆殺し。(これが豊臣政権崩壊を決定的にしたとも)

縁の地が三条にあります・・・てゆか処刑場が三条河原。


右手のテラスで話し込むシーンは見覚えあるある



京都サスペンスドラマロケ地としてお馴染み、カフェテラスのある三条小橋の袂。松屋のお隣にあるのが、瑞泉寺です。

瑞泉寺公式サイト
サイトデザインがとても可愛い!


木屋町三条交差点の松屋の隣







大河ドラマの写真や記事が門前に掲げられ、ここが「太閤記の寺」であることをアピールしていますが、高瀬川沿いを行き来する観光客はほとんどスルー。




そこにいるのはカイト君じゃありませんか!


2016年、「真田丸」の新納慎也秀忠も加わりました


三条木屋町の繁華街ド真ん中なのに、ひと気がほとんど無く、お寺ってのは概ね涼しい所ですが、ビルに囲まれているせいもあって、いつ行ってもひんやりじんめりした空気が流れています。

寺の由来と歴史・・・謀反の疑いで、秀吉に切腹を申し付けられた甥の秀次と殉死した家臣、それを追って三条河原で斬首処刑された39人(!?)の側室と子供達を弔う為に創建された・・・を知って、霊感ゼロ人間ですが、ひんやり感に納得。


その昔、ここは三条河原だった


地蔵堂と墓所が並んでいる

処刑後、遺骸は河原の一角に埋葬され、その上に塚が築かれ、秀次の御首が入った「秀次悪逆塚」と記された石櫃が置かれたものの、その後鴨川の氾濫で荒廃。豪商、角倉了以が高瀬川開墾中に石櫃を見つけ、「悪逆」の二文字を削った上で、塚を修復し新たに碑を建て、瑞泉寺を建立したとのこと。

1611年(慶長16年)開山ですから、秀吉死去から13年、江戸幕府開府から8年。手厚く弔うのに問題の無い時代になったというよか、国家安泰の為に、怨霊(となって祟りそうな人達)を鎮めるという目的もあったかもしれない。


センサーで灯りが点って読経が流れる

処刑時の引導仏であった地蔵尊を祀る地蔵堂内には、子女達を模した人形が安置され、恐ろしさよりも哀れさが感じられます。

ドールクラスタの性で、並んだ人形が、ふた昔前の雛人形っぽいのが気になりましたが、昭和16年、松下幸之助ら率いる財団法人「豊公会」が、秀次公一族没後350年記念事業として、地蔵堂を改修し、妻子家臣等四十九霊供養の五輪塔を奉立をした際のものとのこと。あ、それでか。

隣の墓所も、じんめりした雰囲気で、しかもこのお寺、ハイテク化が進んでいて、あちこちセンサーでいきなり点灯するので、ちょっとビビる~。


かつて塚の上に据えられた秀次の首を収めた石櫃(今は中空)が墓塔中央に安置されている


ここもセンサーで点灯する


掲示板や休憩所には数々の資料が展示され、研究が進むに連れ、歴史の影に葬り去られた秀次の実像が、少しづつ解明されていることが伺えます。


右に辞世の句の軸(複製)






大正期の日本画家、甲斐庄 楠音(かいのしょう ただおと)が描いた未完の大作「畜生塚」は、ここの寺宝である、処刑された側室達が身に付けていた打ち掛けを表装にした辞世の句の軸を見て、着想を得た作品だそうな。昨年、京都近代美術館収蔵展で現物を見て、その迫力に身震いしました。



で、楠音作品のタイトルは「殺生塚」じゃなくって「畜生塚」。「摂政関白」を掛けて「殺生塚」とも、「悪逆塚」「関白塚」とも色々呼ばれた中で、「畜生」の呼び名は、側室達の中には『娘&その母親』というセットもアリだったという、人にあるまじき所業によるものだそうな。そっか、牛丼屋の隣が親子丼なのか。(不謹慎発言)


良く手入れしてあって花の種類が多い


境内の花々は「追悼の花」である


旧山門の古瓦
廃仏毀釈運動の際、天皇家に憚り元々の寺の紋である菊花紋を塗りつぶしたという



拝観は境内のみですが、音楽イベントなど積極的なお寺なので、角倉了以父子の像もあるという本堂の中も、機会があれば是非拝見したいです。


秋に訪れると、紅葉が鮮血を連想させる。合掌


殺せんせーが言ってたように、この界隈は暗殺物件がいっぱい
高瀬川沿いの大村益次郎卿遭難之碑(左)佐久間象山先生遭難之碑(右)




追記1

甲斐庄楠音という日本画家の存在は、芸術新潮1984年8月号の特集で初めて知りました。京都で本画の美人画を多く見る機会を得ましたが、楠音描く着衣の女性像はどれも、「衣装と着付けに拘った」断トツのフィット感。後年、溝口健二監督の下で、衣装風俗考証をしていたことを知りました。

20年以上前、テレビ番組(「そこが知りたい」だったかなあ?)で、時代祭の衣装考証にも関わったと放映されていたと記憶しますが、画集や文献では時代祭関連の記述を見たことがありません。

その番組では、旧家に眠る彼の作品「女と百合」も紹介され、その家の人が「見た途端、『いやあ、気味が悪い!』と言ってずっとしまってあった。」と語っていたのと、楠音自身による「私はこの絵を愛します」という、箱書だったか裏書だったかがあったことを覚えています。


岩井志麻子のホラー小説「ぼっけえ、きょうてえ」の表紙で一躍知られた

追記2

以前、京都造形芸大の楠音小品展で、研究者の方のお話を伺いましたが、この耽美な方向性と、何より御本人が女装(芝居の扮装)をしちゃって、男性と同棲して、結婚したい好きな女性もいたそうだからバイセクシャルぽくて、そんなんで思いがけず若い女性(腐女子w)に人気が出ちゃったんだそうな┌(┌ ^o^)┐




京都造形芸大の小品展で見たスケッチ
女性より若い男性を描く線の方がイキイキとしていた


追記3

瑞泉寺について池波正太郎が、どこかで書いていたと思って探していたが、食エッセイの「むかしの味」でした。「京都 松鮨」が三条小橋の東詰で、南隣が瑞泉寺とあり、秀次と角倉了以の記述が少しあった。南隣が瑞泉寺ということは松屋のある場所で、松鮨は現在、蛸薬師柳馬場西入ルに移転しているそうな。



  


Posted by いたのり at 13:30Comments(0)